【tdr0089】「ピーター・パン」を愛するが故にウォルトがとった行動とは?

ジェームス・マシュー・バリーの著書「ピーターパンとウェンデイ」を原作に制作されたディズニー映画「ピーター・パン」。1953年2月5日(日本では1955年3月22日)に公開され、ディズニーの長編アニメーション映画としては14番目の作品となりました。

「ピーター・パン」のアニメーション映画を作成するには、当然「ピーター・パン」の生みの親である劇作家兼童話作家ジェームス・マシュー・バリーの了解を得る必要があります。ただ、この交渉は一筋縄ではいきませんでした。生みの親だからこそ、想う部分があったのでしょう。それでもウォルト・ディズニーは頻繁に説得を繰り返し、ようやく了解を得ることができたそうです。

何故、そこまで熱心に交渉するに至ったのか、そして、何故了解を得られたのか。それは「ウォルト・ディズニーが【ピーター・パン】を愛していたから」の一言に尽きます。

ウォルトは少年時代、夕食後に必ず「グリム童話」や「アンデルセン童話」を祖母に読んでもらっていました。たくさんの話に触れる中、一番好きになった物語が「白雪姫」、そして2番目に好きになった物語が「ピーター・パン」でした。

そしてある日、兄との通学中に「ピーター・パン」の芝居の告知ポスターを見かけたウォルトは、自分のお小遣いを全て使ってチケットを購入し、この公演を見に行ったのです。その公演で大好きな「ピーター・パン」が空を飛ぶシーンを目にし、彼は大きな衝撃を受けたと語っています。

このときの衝撃と感動は彼にとって凄まじかったのでしょう。彼は自身が通う学校の学芸会で「ピーター・パン」を公演することを決め、自ら「ピーター・パン」を演じるほど影響を受けていました。

それほど愛した「ピーター・パン」だからこそ、自分の手でアニメーション映画にしたいという熱意が彼を動かし、生みの親であるジェームス・マシュー・バリーをも突き動かしたのかもしれませんね。

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