【tdr0122】ディズニー映画に強い影響を受けた日本の漫画家
「火の鳥」、「ジャングル大帝」、「ブラック・ジャック」、「鉄腕アトム」・・・多くの名作を残し、ストーリー漫画の第一人者として現代の漫画表現の基礎を作った漫画家兼アニメーターの「手塚治虫」(1928-1989)。
彼は生前、「自称:ディズニー狂い」というほど、ディズニーをこよなく愛していました。
彼が「ディズニー狂い」となったのは1938年、9歳のころ。
毎年正月に大阪の朝日会館で行われる「漫画映画大会」でディズニー映画を始めて鑑賞したことがきっかけでした。このとき、少年だった手塚治虫はディズニー映画に強い感動を覚え、その世界観にのめり込んでしまったのです。
また、手塚治虫の父が当時珍しかった家庭用映写機を購入した際に「ミッキーの汽車旅行」のフィルムもはいっており、手塚治虫はこれを何度も鑑賞しました。以来、日曜日は家でディズニーを見る習慣がついた手塚治虫は後に公開された「白雪姫」を50回以上、「バンビ」を80回以上映画館で鑑賞し、没頭したといわれています。
因みに手塚治虫が7歳のころに出版されたミッキーマウスの海賊版単行本に夢中になったという逸話もあり、彼は何度も何度も模写をし続け、ついには「本家のディズニーに送ってみたいほど(本人談)」のクオリティまで上達したそうです。
こうして、漫画やアニメーション、あらゆる角度でディズニーは手塚治虫に影響を与えました。
その結果、漫画家兼アニメーターの手塚治虫が誕生し、後世の漫画家・アニメーター達に影響を与える側になったというわけですね。