【tdr0162】ディズニーランドが失敗した日「ブラックサンデー」とは

初代ディズニーランドといえば、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のアナハイム市にあるテーマパーク。ウォルト・ディズニー・カンパニーが手掛けた初めてのテーマパークであり、ここからディズニーパークの歴史がはじまりました。

今でこそ、大人気テーマパークとして万人から愛され、そのサービスも一級品として知られていますが、オープン当初は「最悪だった」と言われています。さて、何故、そのような言われ方をされたのでしょうか?

当時のテーマパークは、「入場口が複数あり、入場するだけなら無料」というのが定番でしたが、ディズニーランドは「入場口を1つにし、当時としては高額な入場料1ドル(現在の物価で8ドル)を支払う」というスタンスをとりました。

これには創始者ウォルト・ディズニーの「家族一緒に安全で楽しい場所で楽しんでほしい」という意味合いが込められており、「ここから世界中に向けて、喜びと活気をもたらすことが望みだ」とテレビ中継で語られています。

そうして迎えた1955年7月17日のオープン日。

園内には招待されたハリウッドスターや有名人のほか、多くの報道陣が生中継するために集まり、また高額な入場料にも関わらず、ゲストも多く押し寄せました。一見、出だしは順調かと思いきや・・・入場券の偽造が発覚・・・。

中には壁に梯子をかけて「一人5ドルで中に侵入させる」という悪い人も出没しました。これにより予想の来場者数2万人に対し、実際には偽造券を使って入場した人を含め3万5000人が訪れたといわれています。

しかも、トラブルはさらに続きます。

オープン当初で20種類しかないアトラクションの1つが故障してしまったのです。それだけならまだしも、フェリーが定員を超える乗客を乗せたことで重さに耐えきれず、沈没。また、「ファンタジーランド」ではガス漏れが起きたり、配管工が工事をストライキしたせいで噴水式の水飲み器からは水が出なかったり、工事が間に合わなかった「トゥモローランド」の歩道はぬかるんでいたり・・・まさに踏んだり蹴ったりだったそうです。

なおかつ、運が悪いことに天候も最悪でした。

晴れてはいたのですが、摂氏37度の酷暑だったのです。アスファルトが溶け、女性客のヒールがめり込むほどの暑さから、「プードルがアスファルトに沈んで行方不明になった」という皮肉な噂まで流れました。

その上、ディズニーランドの主役「ミッキーマウス」と「ミニーマウス」の着ぐるみは、細身で「中に人がいる」という感じが丸わかりのスタイルと間抜けな顔で、可愛らしさがないどころか、偽物感がプンプンの出来栄え・・・。ウォルトがこの着ぐるみを事前にチェックしたのかは疑問です。

このあまりにも悲惨なオープン日から、ディズニースタッフは「ブラックサンデー」と名付け、戒めました。この日から、ディズニーの頑張りと向上心がなければ、もしかしたらディズニーランドは大失敗に終わり、世界各国にテーマパークが作られることもなかったかもしれません。

しかし現実は万人に愛され、支えられてきました。そして、この「ブラックサンデー」から、もうすぐ60周年。ゲストの愛と、ディズニーの向上心がディズニーランドを守り続けているのでしょうね。

関連記事

ページ上部へ戻る