【tdr0548】戦争でウォルト・ディズニーの顔がひきつった?

数々の名作アニメーションを手掛け、人気キャラクターを生み出し、子どもから大人まで楽しむことのできるテーマパークを作った、ディズニーの創始者「ウォルト・ディズニー」

彼の存在があったからこそ、エンターテイメント界、アニメーション界、テーマパーク界に革新が起きたといっても過言ではないでしょう。

しかし、これらの偉業の陰には人知れない苦労の数々がありました。

2度も会社を倒産させ、3度目の正直とばかりに立ち上げた「ディズニー・ブラザーズ社」

1927年に「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を生み出し、大人気になるも、キャラクターの権利、作品、アニメーターを一度に失い、またもや倒産寸前まで追い詰められました。

それを救ったのが1928年に誕生した「ミッキーマウス」

彼の登場がディズニーを窮地を救い、ディズニー社は再建することが出来たのです。

そして1937年には世界初のカラーアニメーションであり、ディズニー長編映画1作目の「白雪姫」を公開。これが大成功を収め、ディズニー社の大躍進が続くかと思われたのですが・・・

2年後の1939年、ドイツ軍がポーランドに侵攻、イギリス、フランスがドイツへ宣戦布告したことをきっかけに始まったヨーロッパ戦争(第二次世界大戦の始まり)がディズニー社の首を絞めたのです。

戦争が起きれば興行収入は当然激減します。

これにより、ディズニー社は経営状態が悪化、リストラ等の人員整理を行わなければなりませんでした。

ただ、このときのディズニー社は世間的な認知度も上がっており、不況を受けての労働者切りに非難が殺到、経営者と労働者の対立が激化したのです。

利益が出ない、経営の悪化、労働者との争い・・・増える問題に心が休まらず、ウォルトは顔がひきつり、数分置きに手を洗うほどに精神的なダメージを受けていました。

共同経営者である兄「ロイ・ディズニー」は戦争を機に会社を去り、ウォルトは一人で、この悲惨な状況と向き合い続けたのです。

そして戦争が終わる1945年までの間、もがきながらも「ピノキオ」、「ファンタジア」、「ダンボ」、「バンビ」などの名作を排出し続け、ディズニー社を守り抜きました。

苦労しながらも、諦めずに明日への道を切り開いたからこそ、今のディズニーがあるのですね。

関連記事

ページ上部へ戻る