【tdr1824】ホテルハイタワーが歩んだ軌跡

アメリカンウォーターフロントにそびえる“ホテルハイタワー”。

現在はホテル営業はしておらず、ニューヨーク市保存協会による見学ツアー「タワー・オブ・テラー」が開催されています。

さて、このホテル、高くそびえるハンマー型の外観が目を引きますが、一体どのようにして建てられたのでしょうか。

ホテルハイタワーの歴史と共に振り返ってみましょう。

設計はロシアの建築家・・・だった
1886年、ハリソン・ハイタワー三世はロシアの著名な建築家である、オスカー・キルノフスキーにホテル・ハイタワーの設計・建築を依頼します。

しかし、建設に取り掛かった後、ホテルのデザインについて意見が合わなくなり、オスカー・キルノフスキーを解雇。ハイタワー三世が自らデザインし直しました。

ハイタワー三世は自分自身の象徴として「美・力・気品・卓越性」を挙げており、ホテルハイタワーはこれらを全て具現しているとのこと。

キルノフスキーのデザインでは具現出来ていなかった・・・ということでしょう。

ちなみにホテル前にある掲示板には、ハイタワー三世とデザイン画を持つキルノフスキーの写真が掲示されています。

建設費用はニューヨーク市民の税金
ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン島パークプレイス1番地に位置するホテルハイタワー。

元々あったハイタワー家の大邸宅を元に改築、増築して1892年1月23日に開業しましたが、その建築と維持には莫大な費用がかかりました。

しかもそれに見合う収入を得ることは不可能だったようで、あろうことか費用の大部分がニューヨーク市民の税金で支払われたのです。

こうしてハイタワー三世は自身の懐を痛めることなく、ホテルを運営しました。

営業期間はたったの8年
1892年1月にオープンし、1900年1月に閉鎖したため、営業期間はたったの8年しかありませんでした。

その後、長らく放置されていたホテルハイタワーですが、土地権利書を買い取ったコーネリアス・エンディコット三世により、取り壊されることに・・・。

それを知った娘のベアトリス・ローズ・エンディコットは1912年6月5日「ニューヨーク市保存協会」を設立し、ホテルの歴史的価値を理由に取り壊し計画を妨害。

ホテルを改修して、ハイタワー三世失踪から13年後となる1912年9月4日に見学ツアーをスタートさせました。

4つの建物から成るホテルハイタワー
ホテルハイタワーはホテルエントランスの「大邸宅」、正面向かって右側の「カリフスタワー」、正面向かって左側の「インディアンタワー」、ハンマー型の「グレートタワー」という異なる4つの建物から構成されています。

【大邸宅(5階建)】
名前の通り、元々ハイタワー家の大邸宅で、ホテルのメインエントランスとして改築されました。

中にはロビー、書斎「パークプレイスの竜」、ファラオ秘密クラブ、オリンピックレストランなどがあります。

【カリフスタワー(5階建)】
ラジャのプールに隣接する建物。サンルームやイスラム調の豪華スイートルームがあります。

屋根にある銃眼はハイタワー三世が1878年に遠征したアラビア探検で手に入れたもの。

【インディアンタワー(8階建)】
屋内にはコンゴ遠征帰還記念パーティーが行われたアトランティス・ボールルームが、屋上には太陽の庭があります。

アトランティス・ボールルームにはポンペイで発見された大きな壁画が飾られている他、エントランスホールにはアメリカで最大(設定当時)の継ぎ目のない鏡が置かれています。

【グレートタワー(14階建)】
ハンマー部分になっている12~14階はアフリカ風に装飾されたハイタワーの私室。他、豪華スイートルームがあります。

ホテルハイタワーの様々な建築様式
ホテルハイタワーの建築様式は建物によってバラバラで、ゴシック様式をはじめとした様々な建築様式を取り入れています。

「カリフスタワー」はイスラム様式、「インディアンタワー」はムガール様式、「グレートタワー」はムガール様式になっており、ハイタワーの私室はアフリカ風、書斎はフランス中世風・・・と、冒険家だったハイタワー三世らしい折衷ホテルとなっています。

また、瞑想の庭園には世界各地の女神像が並べられ、インドの庭園にはインドで収集された彫像や壁画が飾られており、ハイタワー三世の世界観が覗えます。

遠目で見てもインパクト抜群のホテルハイタワー。

そのバックグラウンドには、テーマパークのアトラクションには不似合いなほど濃密な物語があったのですね。

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