【tdr0314】ヨーロッパのディズニーランド建設地がパリになった理由

1992年4月12日、世界で4地域目にしてヨーロッパ初となるディズニーパーク「ユーロディズニーランド(開園当時の名称)」がフランスのパリに開園しました。

現在は「ディズニーランド・パーク」が正式名称なのですが、いまだ旧称である「ディズニーランドパリ」と呼ばれ、親しまれています。

実はこの「ディズニーランド・パーク」建設は、20年も前に持ち上がった計画でした。

1972年、カリフォルニア州アナハイムにあるディズニーランドと、フロリダ州オーランドにあるディズニーワールド・リゾートの成功から、ヨーロッパで建設しようと計画され、1983年の東京ディズニーランドの成功を受け、海外進出の機運は更に高まりました。

1984年には建設候補地としてヨーロッパ各地120個所が挙げられ、1985年にフランスの2か所とスペインの2か所まで絞られたのですが、集客率と気候の関係から難航。

気候的には地中海に面したスペインの候補地とフランスはマルセイユ近郊が温暖で良しとされ、パリは寒さが懸念されました。ただ、集客的にはパリが優位なことがあり、そこで天秤に掛けられたのです。

このとき、パリの後押しをしたのが東京ディズニーランドでした。

東京ディズニーランドのある浦安市は梅雨の時期は雨が降り、冬は沿岸からの風が冷たい地域なのにもかかわらず、集客数に大きな影響はありません。このことがパリの後押しとなったのです。

また地質調査の結果、パリ以外の候補地は固い岩盤が重なっており、建設が難しかったことも要因となりました。

温暖であろうがなかろうが、夢の国は夢の国。

立ち入れないほどの灼熱地獄か寒冷地でなければ問題ではない、ということでしょうか。

関連記事

ページ上部へ戻る